人間はロボットか?著者は、NLP (神経言語プログラミング) は、その研究から「人間性」、「感情」、「情緒」、「道徳性」のような要素を除外して、人間を事前プログラミングされたロボットに似たものであると見なしているのではないか、と人々が言うのをよく耳にします。 著者は、NLP の誕生は、人間活動の「意識」の存在および思考プロセスそのものも否定するまでに及んだスキナーの行動心理学が極端な形で代表している (最終的な結果だけを求める) 実用主義的傾向によって可能になったという意味で、このような批判をある程度まで理解でき、同情できます。 しかし、非常に皮肉なことに、人間の精神と行動の活動を、それらがどのように事前プログラミングされているかの観点から研究するサイバネティクスや、NLP を含めたコミュニケーション心理学のような現代科学は、人間は無思考のロボットであるという結論には向かいません。サイバネティクス等のこの非常に重要な局面は、マクスウェル・モルツ著の「サイコサイバネティクス」の次の一節で極めて優雅に表現されています。 「最初機械と機械的原則の研究として始まったサイバネティクス (人間工学) が、ユニークな創造的存在の威厳を復活させているのはかなり皮肉なことだ。人間の精神または魂の研究から始まったはずの心理学は、最終的には人間から精神を奪ってしまったからだ。...サイバネティクスの科学は、『人間』は機械ではあると言うかわりに、人間は機械をもち、使っているということを私たちに教えてくれる。」 要するに、現代の西洋心理学が、行動心理学の場合のように、「人間から精神を奪う」ようになってしまった一方で、人間を事前プログラミングされた自動機械であると見なすことから始めた「行動科学」が最終的には、私たちの行動、思考、感情等すべての背後に何か超越的なものがあるに違いないという、ほとんど宗教的な結論に達しなければならなかったことは非常に逆説的と言えます。 常識とは正反対に、著者の意見では、私たちの日常の行動と思考のプロセスをコントロールしている通常自分では気づいていないプログラミング (すなわち、サムスカーラ、アンカーリング、 SDMLB 等) に気づけば気づくほど、それだけもっと私たちはこれらのプロセスをコントロールでき、情緒、感情のような重要な人間の内的経験を自分の思うように強くもつようになることが可能です。 Copyright (c) 1997-2012, by Swami Guhen. All rights reserved internationally. |