文脈対内容

同じ「内容 (コンテント)」が、異なる文脈 (コンテキスト) に置かれたら、まったく異なる意味 (または機能) をもつようになる場合があるという事実は、捉え難く明示的であるかもしれません。すなわち、それは自明であると同時に極めて重要なことです。

たとえば、人間の脳の細胞は、生物学的には腕の細胞とあまり変わらないと見なされるかもしれませんが、前者が満たす機能は後者の機能とはまったく異なったものです。この事実に含蓄されることは、これらの 2 つの種類の細胞の間には大きな本質的相違はないということです。

同じ比喩は、たとえば、重要な政治家と普通の市民の間の相違のケースに適用することができます。彼らは両者とも、生物学、身体能力、行動、知能指数、教育等の観点からは、非常に似ているかもしれませんが、彼らの考えと行動の機能のし方がまったく異なっている場合があります。ここでも、両者の間の相違は思うほど大きくないはずです。

この機能の相違は、「チャンクアップ」と「チャンクダウン」の概念と密接な関係があります。つまり、同じ要素でも、それがどの論理階梯に配置されているかに応じて、まったく異なった機能または意味をもつことがあります。

同じ要素が、どの論理階梯に配置されるかに応じて文脈 (パターン、規則等) と内容 (詳細、結果等) のどちらになることも可能であることを指摘することは興味深いことです。特に、ある論理階梯上で文脈である要素が一つ高い論理階梯上で内容になる場合があり、また、その逆もありえます。

この主題は、NLP の機能のし方に関するロバート・ディルツの優雅な説明とも密接に関係があります。

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