VOL.3 2003.11.14 『 こ れ が 本 物 の N L P だ ! 』 ************************************************************************ NLP四天王(グリンダー、バンドラー、ディルツ、ディロージャ)すべてから正 式にトレーニングを受けた著者が、NLPという最先端コミュニケーション心理学 /実用心理学について生の情報を多角的に発信します。 ************************************************************************ 『NLP の原則、哲学、存在理由』 皆さん、こんにちは。英国 NLP 学院代表の北岡泰典です。 前回の号で、私は「次号で、まだ日本に紹介されていないと私が理解している NLP の原則、哲学、存在理由について私なりに述べさせていただきます」と書 きましたが、本号ではこのトピックについて考察してみたいと思います。もちろ ん、紙面の都合上、このような非常に大局的なトピックをすべてこのメルマガで カバーすることは不可能に思われますので、NLP の認識論的 (英語では 「epistemological」) 背景を、ポイントだけに絞って論じたいと思います。 まず、第一に言えることは、これは日本だけでなく、欧米の NLP プロの業界全 体でもその傾向が非常に顕著なのですが、NLP を語るにあたっては、「NLP の 父」と呼ばれている二人、すなわち、グレゴリー ベイツンとミルトン H エリク ソンのうち、エリクソンの業績、催眠手法 (いわゆる「エリクソニアン ヒプノ シス」) について、さらに、同じく療法的局面として、ゲシュタルト セラピー 創始者のフリッツ パールズと家族療法医のヴァージニア サティアの業績につい ては、非常に広範に詳しく論じられたり、多くの著作で紹介されてきています。 (これら二人の「セラピーの魔法使い」は、エリクソンとともに、1975 年に出 版されたジョン グリンダーとリチャード バンドラー著の最初の NLP 書である 「魔法の構造、第一巻」での研究分析対象になりました。) 他方、もう一方のベ イツンの業績と NLP に対する影響については、実質的な「沈黙」がずっと続い てきているようです。 [注: 国内では、Bateson はこれまで慣用的に「ベイトソン」と音訳されてきてい るようですが、私の 15 年以上に渡る欧米での実地の NLP 経験では、「NLP 四 天王」を含む主要な NLP トレーナーは例外なく皆「ベイツン」と発音していま すので、私も、あえて「NLP の父」としての意味合いで「ベイツン」と呼ばせ ていただきたいと思います。] NLP の背景としてエリクソン、パールズ、サティアのようなセラピストの業績 に主な焦点が当てられてきていることは、1) NLP は当初セラピーの代替学派と して共同開発された、2) NLP の各テクニックの、時には驚愕さえも覚えてしま うほどの即効的、実用的効果を説明するのに、これらのセラピーの大家の業績を 引き合いに出した方が説明、分析がしやすい、といったことを理由にしている一 方で、たとえば、おそらく、かなり難解なベイツンの著作「精神の生態学」等を 研究する人はごく少ない、といった理由から、この「20 世紀の認識論的巨人」 の、私の意見では、計りしれない NLP に対する影響について詳細に論じられる 機会はほぼ皆無であることは、ある意味では無理からぬことかもしれません。 ただ、ある事実がまったく論じられない場合でも、即その事実そのものが存在し ないということを意味するわけではないので、この機会を利用して、ベイツンと ベイツン的認識論の NLP に対する深い影響について以下概述したいと思います。 グレゴリー ベイツン (1904〜80 年) は、1970 年代初めカリフォルニア大学サン タ クルーズ校 (UCSC) クレスゲ カレッジの教授でしたが、その下でグリンダ ーとバンドラーが学んでいました。アリゾナ州フェニックスに非常に奇抜な方法 で催眠を使いながら重度の精神病患者も治してしまうかなり奇妙な医者がいるの でぜひ研究しに行くようにと、この二人に勧めたのがベイツンでした。もちろん、 この奇妙な医者とは、催眠療法医のエリクソンです。 ベイツンは、近年、DNA のコンセプトで脚光を浴びてきている「Genetics (遺伝 学)」という英語を造語した英国の生物学者、ウィリアム ベイツンの息子で、若 い頃ニュー ギニアとバリ島で人間のコミュニケーション パターンを研究した文 化人類学者でした。同じく文化人類学者のマーガレット ミードと結婚していた ことでも知られています。晩年に米国カリフォルニア州パロ アルトの「メンタ ル リサーチ インスティチュート」 (精神研究所) で精神医学の研究に従事し、 50 年代に統合失調症 (以前は「精神分裂病」と呼ばれていました) の理論の形成 に貢献しました。「二重拘束 (ダブル バインド)」や「論理タイプ」のような彼 の理論的概念は、統合失調症のケースに限定されることはなく、一般人間コミュ ニケーションにも普遍的に適用できるものであることが、後に証明されてきてい ます。ベイツンの研究で重要なことは、常識とは反対に、統合失調症患者と「正 常」な人間との間の相違は絶対的なものではなく、むしろ相対的であるという発 見でした。すなわち、両者とも、同じ心的機能の原則によって支配されています が、これらの原則を応用する際に犯される小さなエラーによって大きな相違が生 まれるわけです。このことは、統合失調症患者によって使われる「草の三段論 法」の例で例示されています。すなわち、 三段論法 草の三段論法 人間は死ぬ。 草は死ぬ。 ソクラテスは人間である。 人間は死ぬ。 ゆえに、ソクラテスは死ぬ。 ゆえに、人間は草である。 上記の三段論法における「ごくマイナー」のエラーから「狂気」の人々ができあ がることに留意してください。 特に、ベイツンの「論理タイプの理論」は、コンテント フリーである NLP の 方法論の根底にある最重要概念です。つまり、この理論を基に、「問題 (内容) を作り出したのと同じレベルにあるマインドではその問題は決して解決できない。 解決するためには、その問題より上のレベル (たとえば、文脈のレベル) で機能 するマインドが必要である」といった NLP の最重要原則が生まれています。 この論理タイプの理論は、臨床的にはドン ジャクソンによって、理論的にはベ イツンによって指導されていた「パロ アルト グループ」 (上述の精神研究所の 研究者の集まりのことです) のポール ワツラヴィック、 ジョン ウィークラン ド、リチャード フィッシュによって書かれた「変化」 (1974 年) で要約されて いますが、その本質的な公理は「ある集まりのすべてを含むものは、その集りの 一部であることはできない」というものです。つまり、(特定の複数のメンバー から成立している) クラスは、それ自身のメンバーであることはできません。た とえば、人類はすべての人間から成り立っていますが、人類は人間ではありませ ん。ここで「論理的タイプ エラー」が犯されると、地図と土地の間の混同が生 み出され、場合によっては、統合失調症患者が食物のかわりに、その食物が記述 されているメニュー自体を食べ始めてしまうことになります。 ちなみに、私は、ワツラヴィックは最高のコミュニケーション アナリストの一 人であると見ていますが、35 年以上も前の 1967 年 に出版された、ベイツンに 捧げられた書、「人間コミュニケーションの語用論」で、 ワツラヴィック、ジ ャネット バヴェラス、ジャクソンの三人の著者が、基本的な人間コミュニケー ション パターンのほぼすべてを解明し、モデル化することに成功している事実 は極めて驚くべきことです。この本は、人間コミュニケーションの研究者にとっ ての必須の本であると言っても過言ではありません。この本が NLP の誕生に多 大な影響を与えていることは間違いありません。(ちなみに、「語用論」は 1998 年に翻訳版が出版されているようですが、定価が 5,000 円するようです。また、 私は、この本を含めてほぼすべての NLP の本を英語で読んできているので、一 般的に、前号でも指摘したように、私が読んだ各本の原文での論理性と明快性が 翻訳版でどう伝わるか、等の判断は私にはできかねます。) ワツラヴィック自身は新理論/モデルは始めたわけではないかもしれませんが、 たとえば、統合失調症的なコミュニケーション パターンについてのモデルを一 般的な人間コミュニケーションに応用した彼の貢献は大いに評価されるべきです。 特に、「語用論」、 「変化」等で、彼は、論理タイプの理論と二重拘束を始め とするベイツン モデルを、人間の日常生活のむしろ普遍的なコミュニケーショ ン パターンとして提示することに成功しています。私は個人的にワツラヴィッ クに会ったことはありませんが、私の知人の NLP トレーナーによれば、彼は、 パリで行ったワツラヴィックのレクチャーに行ったが、その際、ワツラヴィック は NLP のことをあまり肯定的に話さなかった、ということです。この理由は、 実践的な NLP がこれだけ欧米でブレークしている一方で、その理論的背景であ ると言っても過言ではないパロ アルト グループの業績が素人のみならず NLP 専門家の間でもあまり知られていなくて、正当に評価されてもいない事実に関し て「嫉妬」と「不満」を感じているからである、と私は見ていますが、これはあ まりにもうがりすぎた見方でしょうか? 私は、ベイツンを父として、ベイツン的認識論の理論的擁護者グループとしての パロ アルト グループとその理論を適用した実用的方法論としての NLP は互い に同等な兄弟関係にあると見ています。 パロ アルト グループの重要性は、(それまで無名で、正当な評価もされていな かった) エリクソンの業績を初めて世界に紹介したのがこのグループのメンバー であったジェイ ヘイリーであったこと、現在日本でも知られてきている「ブリ ーフ セラピー (短時間療法)」を方法論的に確立したのがこのグループであった ことからも、決して過小評価されるべきではありません。 ところで、ベイツンは、死後出版の著、「天使のおそれ」で、 2,500 年前にア リストテレスによって提言され、デカルトが複雑化した諸問題は、 彼自身とバ ートランド ラッセルの認識論によってすでに解決されたとまで明言しています。 彼は、これらの問題が解決された後、さらに新たな問題が生まれるだろう、と非 常に謙虚に語っていますが、このことは、古今東西の哲学者が 25 世紀に渡って 喧々諤々と論議してきたにもかかわらず解けなかった、たとえば、心身二元論の 問題がすでにきっぱりと解決されたという空恐ろしい事実を示唆しています。つ まり、ベイツンの教えを踏襲して生まれた NLP は、2,500 年間人類が達成でき なかった、コンテント (内容) レベルからコンテキスト (文脈) レベルへの「量 子的飛躍」を初めて可能にした方法論であるというわけです。 「ラッセルの認識論」については、ベイツンの「論理タイプの理論」は、元々は、 ラッセルとアルフレッド N ホワイトヘッドが 1910 年〜13 年に書いた「数学原 理 (Principia Mathematica)」 で紹介されたという極めて重要な事実を指摘して おく必要があります。この本は何千ページもある難解な本で、私もいつかは読み たいと思っていますが、ケンブリッジ大学卒の数学者である英国人の私の知人か らは、専門家の数学者、哲学者でも理解が難しいので、読むのはおそらく時間の 無駄だ、と助言されたことがあります。 もちろん、この英国の認識論的伝統をさらに遡れば、17〜18 世紀のロック、バ ークリー、ヒュームの「イギリス経験論」にルーツが見出されることは明らかで す。 以上、NLP は、巷でしばしば考えられているように、単なる既存のテクニック や概念を表面的に寄せ集めた刹那的、折衷主義的方法論ではなく、哲学的、認識 論的には、少なくとも 2,500 年間の人類のありとあらゆる形而上学的な試行錯 誤を基盤にしていて、かつそれらを統合止揚した、まったく新しい革新的な方法 論であることが読者の皆さんにも理解できるものと祈っています。つまり、NLP は「浅さ (即効的テクニック) においても深さ (哲学的背景) においても」その 実践者を驚愕させてくれうる、非常に魅力的な現代的ツールであると結論付ける ことができると思います。 著者追記: もうすぐ開講スタートする私の NLP プラクティショナー コースにつ いてですが、先日ある方から関連質問を受けましたので、ここでその質問と私の 答えを追記として紹介させていただきたいと思います。 質問内容は、「国内の既存の NLP コース/ワークショップでは内容がセラピー 系に偏りすぎている場合もあるのですが、北岡さんのプラクティショナー コー スではその傾向はありますか?」というものでした。 確かに、私は、NLP を学 び始めた 15 年前にはそのような傾向があったかもしれませんが、最近は、私の 関心は、マイナスの方をゼロにする (精神的疾患者を正常にする) よりは、プラ スの方をさらにプラスにする (普通の方を天才にする) 方向に完全転換していま す。この私自身の傾向は、今号のメルマガのテーマである「グレゴリー ベイツ ン vs ミルトン H エリクソン」の図式を考えていただいて、私の方向性がセラ ピー系のエリクソンではなく、認識論系のベイツンにあるということが判明すれ ば、非常に明確になると思います。 以上、今号のメルマガはいかかでしたでしょうか? ご質問やご意見がございましたら、忌憚なく magazine@creativity.co.uk まで お寄せください。 なお、英国 NLP 学院の詳細は以下でアクセス可能です。 http://www.creativity.co.uk/creativity/jp/nlpacademy/mm/ このメルマガ最新号の内容を英語で以下のサイトで読むこともできます。 http://www.creativity.co.uk/creativity/magazine/ 本誌の無断転載は禁止されています。 (c) Copyright 2003, Taiten Kitaoka. 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