Creativity Enhancement Ltd. 皆さん、こんにちは。変性意識の学際的研究家・NLP ファシリテータの北岡泰典です。 本メルマガは、前号の『瞑想について』の続編完結編となります。 今号では、以下の私の結論を付け加えて、『瞑想について』のトピックを完結させたいと思いました。
私は、最近、NLP は、最近の日本人 (特に若者) に欠けている内省、内観の方法として使える、すなわち、NLP には「ヴィパサナ (自己観察) 瞑想」的な要素がある、と主張してきています。 私自身は、1980 年代後半に NLP を研究し始める前に、8 ヶ月間の心理療法 (米国西海岸)、2 年間の催眠学校での催眠の研究 (英国)、禅瞑想、バグワン シュリ ラジニーシ式の諸瞑想 (「クンダリーニ瞑想」という瞑想中には、実際にクンダリーニ エネルギーが上昇、開花したこともあります) を実際に経験していましたが、その右脳的な体験に基づいて言うと、NLP は、極めて有効な自己観察の方法論として使うことができる、という結論に達しています。 さらに興味深いことは、バグワン等は、現代社会の人々は、山奥の中で静かに暮らしているわけではないので、日々の喧騒を経験している現代人は、瞑想中にどんどん体を動かした方がいい、ということで、「ダイナミック瞑想」、「クンダリーニ瞑想」をはじめとする「革命的」な動的瞑想を考案しました。 すなわち、静的瞑想と動的瞑想を含む瞑想は、「すべて例外なく」、2,500 年前のインド人哲学者のパタンジャリが著した「ヨガ スートラ」という瞑想法解説書 (この本に対する「メタ解説書」が何冊か出ていますが、ヴィーヴェッカナンダの注釈 (『ラージャ ヨガ』)、アベーダナンダの注釈 (『ヨガ心理学』)、クリストファー イッシャーウッド & プラバーヴァナンダの翻訳 (『神の知り方: パタンジャリのヨガ格言』)等が推奨されます) に基づいていて、その枠の域を出ていない、という結論を私はもっています。 これに反して、「ヨガ スートラ」の方法論とは一見まったく無関係のように見える NLP の方法論に関して言うと、私は、約 20 年前に、7 年間毎日 10 個程度の NLP 演習を自己適用しましたが、当初は、スペーシャル ソーティング (空間並び替え) を使って、実際に体を動かしていましたが、その後頭の中でも同じことができるようになった後、現在は、ある代表的な NLP 演習を頭の中で「瞬時」に行うことで、静的もしくは動的瞑想をたとえば 40 分以上行ったときに得られる効果と同じ効果を達成できるようになっています。(「瞬時」と書きましたが、さらに正確に言うと、「一、二秒以内」です。) この意味で、私は、個人的には、NLP は、パタンジャリ以降 2,500 年間続いてきている瞑想の伝統に取って代り「うる」方法論であると、確信しています。 この点について強調しておくべきことは、NLP では、すでに経験的に知っていることを (アンカーリング等によって) 再生または再体験できるだけで、「レモンの味を知らない人がいくら
NLP をやっても、レモンの味を味わえるようにならない」という致命的な点です。 この点について、私が、NLP 共同創始者のグリンダー氏に「では、NLP を通じてまったく新しい行動または状態が生み出されうるのですか (= レモンの味を知らない人が NLP をやって、レモンの味を味わえるようになるのですか)?」と質問したときの同氏の答えは以下のようなものでした。 「NEW コード NLP のノウナッシング ステートでしか生成されない状態もあれば、たとえば、ドラッグ等で化学的に誘発された変性意識状態でしか生成されない状態もあり、それらは必ずしも重ならない。」 ですので、瞑想を充分経験していない場合は、上記の NLP の「革命性」は体感覚的に認識することはできないと思われます。 ---------------------------------------------------------------------- 北岡泰典メ−ルマガジン |